good bye daddy

独りよがりの忘備録

14.そしてまだまだ続く 四十九日法要

田舎から帰ってきてからも、三姉妹ラインであれやこれや相談することがたくさんあった。田舎の妹は、光熱費の引き落とし口座の変更や、クレジットカードの解約などなどすべてのことをやってくれた。私と真ん中の妹は、四十九日法要で渡す粗供養を買いに行き田舎へ送っただけ。最初に選んだのを写真で送って母に見てもらうと「もっと大きいのにして」と言われた。田舎の人は贈り物は大きい方がいいと思っている。

四十九日法要は告別式に呼んだメンバーと同じなので全員で30人くらい。伯母の代理の従兄が仕事で欠席、ひとりの孫が入社式で欠席なだけ。前日に私と妹で自宅の仏間の戸を外し、座布団を30枚並べた。母が嫁に持ってきたものと、父が初老記念に作った家紋入りのもの、妹が嫁に行くとき祖母が作ってくれたのに持って行かなかったのとか、数日前に蔵の2階から出されていた。母が嫁に持ってきた座布団なんて、半世紀以上前なのにきれいでふかふかしているのでびっくり。生地が正絹なので虫食いが数か所あってもったいない~。

11時にお坊さんが来てお経が始まり、その後、お寺にお参り。お昼はそれぞれの車と、予約していたお店の迎えの車に乗って移動。2部屋ぶち抜いた広い会場でお昼の会席。母に挨拶してって言ったのに「あんたがやって」と断られて、また簡単な挨拶をした。お開きにも挨拶。毎回、顔触れも同じ身内だし挨拶慣れしてきたわ。ここで解散して帰る人、家に来る人、色々。

三姉妹と孫数人は家に帰って着替えた後、チューリップ祭りのプレオープン会場に行ってみた。風が出て来て寒い・・・。

ちょっと余談だけど、娘夫婦は羽田から飛行機を乗り継いで来ていた。帰りは私のほうが先に家に着ていたので、田舎の空港を飛び立つ飛行機を空港のライブカメラで見送ろうと思った。飛行機が動き出して、あれれれれ?パソコンの画面から左へ見切れてしまった。なーんだ、一番肝心な離陸が写らへんと思っていたら、写っていないところで滑走路をUターンして左からまた画面に入ってきた。そして右端で離陸。なーんだ、笑かすなよ。娘はこの飛行機はチューリップ畑の上を通ると聞いていたのでスマホのカメラを構えていたのに、窓の外はモヤモヤしていてよくわからなかったらしい。どこかわからないモヤがかかったような集落の画像が送られてきた。その30分後くらいには伊丹空港のきれいな夕日も送られてきた。

それから母には「もらった人にはお返しをしないといけない」と言う強い信念があって、入院中にお見舞いをもらった人と、告別式の日にお花代をもらった人にも粗供養を送ることになった。香典を辞退しているから不要だろうと思っていたけど「年齢順に逝くと私には返せる時がない」と言って粗供養を送った。と言っても私が選んで送ったのは3軒だけで、他は田舎の人たちだたので全て母に任せた。親戚に「シャディのサラダ館」をやっている人がいて、そこを無視することもできなかったのかも知れない。面倒くさい田舎の親戚づきあい。